このパラドクスは標準的なゲームとは何であり、ハイパーゲームとは何であるかのが容易く明示できるがゆえに特に悩ましい。ハイパーゲームのような類のゲームはあるかのように思える。他方で、ハイパーゲーム(なるものがあると仮定すればそれ)は標準的でもあり、かつまた標準的ではないように思える。しかしバーワイズ&モスはパラドクスを述べている文章のうちに多義性の誤謬があると考えている。彼らは二種類のゲームがあると考えており、その混同こそがハイパーゲームの記述のうちに見いだせると考察している。まずゲームの集合をSとする。そしてSを踏まえて定義されるスーパーゲームをS+とする。つまりS+は集合Sからゲームを1つ選択し、それを行うことでプレイされるゲームということである。ここで集合は病的ではない(well-behaved)対象の集まりとする。つまり集合論の諸公理に従う(この場合は基礎の公理の成り立たない集合論(non-well-founded set theory)であるが)。Sが標準的なゲームの集合である場合、S+はSの要素ではないことが示される。一方でSを踏まえて定義されるハイパーゲームをS*とする。つまりS*はSのメンバー内からゲームを選択するか、あるいはS*自身を選択することでプレイされるゲームということである。Sが標準的なゲームの集合である場合、明らかにS+は標準的なゲームだが、S*はそうではない。以上のような議論から学ばれることは、まず標準的なゲームの集まりというのはそれ自身が一つの集合ではなく、その上に築かれるスーパーゲームやハイパーゲームといったものの存在を証明することはできないということである(Barwise and Moss 1996、§12.3)。
基礎の公理が成り立たない集合論を採用するとハイパーゲームはエレガントにモデル化される。標準的なゲームの集合をSとする。するとハイパーゲームS*とは、S* = S U {S*}ということになる。ツリーで示せばS*は次のように表現される。

標準的なゲームの集合から定義されるハイパーゲームはパラドキシカルな対象ではない。それは単に手数が無限なゲームである。もちろん、標準的な集合論のもとでもこの手数が無限になるハイパーゲームは「ハイパーゲーム」という言葉が反復的に現われる無限列としてモデル化することができる。 しかし、ハイパーゲームがもつ自己参照的な側面は、基礎の公理が成り立たない集合論においてよりクリアに前景化する。
本節ですでに述べたように、数学と計算機科学において基礎の公理の成り立たない集合論が応用されたものがいくつかある。数学における応用としては主に双模倣性(bisimulation)の理論における非常にテクニカルなものがあるが本書では詳細は論じない。だが計算機科学における応用には比較的理解しやすいものがあるので見ていこう。たとえば、基礎の公理の成り立たない集合論を用いるとラベル付き遷移システムをモデル化することができる。プログラムを実行している計算機のような動的システムの展開をモデル化したいとしよう。いずれの時点においても動的システムは「ある状態」にあり、そして「ある行動」がこれから起ころうとしている。バーワイズとモスは、まず状態の集合Sと行動の集合Actをとることからラベル付き遷移システムの理論を定式化している。sとtがそれぞれ「状態」であり、aが「行動」であるとする。状態sからシステム上で可能な遷移の集合をσ(s)とする。対(a、t)がσ(s)にあるとき、システムにしたがって、状態sからスタートし、aの実行後に状態tで終わることが可能である。このときsからtへの遷移にaをラベルするという(sからtへaというラベル付きの状態遷移がある/次のように書かれる)。

(Relevant Logic: A Philosophical Interpretation, Cambridge University Press, pp.63-5. )
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