Tuesday 1 January 2019

『本の装丁におけるデザイン要素としての影絵と切り絵』よりPaul Konewka節の試訳(進行中)

Steinheider,J. (2014) Schattenbild und Scherenschnitt als Gestaltungsmittel der Buchillustration: Geschichte und Bibliografie (KONTEXT 11), Tectum Wissenschaftsverlag.

 Paul Emil Valentin Konewkaは1840年4月5日グライフスヴァルト (Greifswald) において三人兄弟の末っ子として生まれた。彼の父であるKarl Emil Albert Konewkaはグライフスヴァルト大学の会計監査の職に就くために1830年にグライフスヴァルトへと移住してきた。そしてその地で長年のフィアンセであったJohanna Maria Katharina Michelsと結婚した。兄Carl Albert Tadaeus(1834年生まれ)と姉Marie (1836年生まれ)とPaul Konewkaはとても親しい仲にあり、特に姉とは晩年まで非常に密接な関係にあった。というのも1850年、Paulが10歳の時にすでに母親が死別していたからだ。

 Konewkaの特別な才能は幼少の頃からすでに発揮されていた。ペンと絵筆の代わりに彼は姉の手芸ばさみを手に取り、人間や動物といった彼が目にしているものすべてを黒あるいは白の紙に輪郭で象って切りとっていた。そうした切り抜きをつくることが彼のお気に入りの遊びとなっていた。Konewkaがつくりだした無数の切り抜き像はKonewkaや兄弟、あるいは彼の友人たちがKonewka家の二階でごっこ遊びに興じるのに役立った。彼の父(父自身もまた芸術的な才能をもちあわせていたのだが)そして彼の姉はKonewkaのこの風変わりな才能に気付くこととなり、Konewkaがつくる無数の影絵を捨てずに集めだした。数百の切り抜きの一群に父は次のような題をつけている。「Paulが切り出した無数の像のわずか一部、またそれらは失敗から引き離されたものとして」。

(以下、続く)

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