Friday 18 January 2019

MM誌に寄せた評


BUDDHA BRANDベスト盤評

 BUDDHAの特徴は①コンペティションという現在時の美学、②その追求において獲得されたライム表現、③アーカイバルな知性に支えられたビートならびにトラックである。

 まずヒップホップをコンペティション、つまりスタイル間の闘争と捉えていた彼らはボースティング、ディス、サッカーMCものにトピックを終始させる。スキルと技量だけでゲームのあり方をひっくり返そうとするライムは問答無用に相手の耳を乗っ取り、恍惚や快楽、忘我へと拉致する。その力の実体は誇張法である。あの手この手でボースティングを行い、ディスを続ける中で溢れ出す熱量は巧みかつ奇抜な技術を通じて次々と言葉をハレーションさせ、ライムに過剰さや途方もなさ、突拍子のなさを持ち込む。相手を打ち負かすために誇張され続けた否定の言葉がユーモラスで異形な言語表現へと反転してゆく力学こそ彼らのライムを貫く特徴であろう。

 一方でこうした闘争への意志は「現在・今・ここ」における現在時の塗り替えに賭けられている以上、不断に過去へ押し流されるはずだ。作品の教科書化やクラシック化という現象はコンペティションの原則上、乗り越えられたか、古いものとして現在・今・ここのラップゲームから追出されたことを意味してもいる。だが本作で貫かれる現在時の美学は古さと一切無縁だ。なぜか?

 それはサンプリング・スポーツの結晶というべき美しさを響かせている楽曲に理由がある。サンプリング、つまり音を分解し組み合わせて更にドープに格好良くするコラージュ感覚こそヒップホップの本義だと確信していたD.L.にとって過去とは何よりも素材を提供するデータベースであった。アーカイバルな知性であった彼はメンバーと繋がる以前からNY中を隈無く巡回してレコードを収拾し、音要素を掘り当て、ドープという審美基準とデータベースを更新し続けていた。そして後に彼の脳内に鳴り響く音像がマニピュレーターやビートメーカーの助力でトラックとして出力されたのだ。

 そこには過去の断片たちが彼なりのコラージュ感覚と審美基準で縫合されてミイラのように蘇った奇跡がある。その奇跡は「現在・今・ここ」とは無縁の時間をタイムカプセルのように漂い、未来において何度も再生され、時には再度バラバラに解体されることもあるはずだ。過去と未来が循環する回路の中を走り抜ける現在時の美学が古さと無縁であることも今や自明だ。

 企てがたい稀有さに満ちた本作はいつでも再生され、発見され、解体されることをまっている。

NORIKIYO『OUTLET BLUES』評

 対象と直に触れ合うとき見える/見えないを区別していた対象との距離は消えてしまい自身の立ち位置さえも分からなくなってしまう。性行為、犯罪、人生。
 
 手探りで転がり続ける理由は暗闇の中にいるからではなく対象との距離の不在にあり、無我夢中な不格好さが美しさを帯び出すのはこの不在の時を爆音で駆け抜けようとする無謀さのせいだ。

 一人称しかない街で言葉のナイフを手に距離を失った世界の表皮を削り出そうと四苦八苦する嘆きとも自嘲ともつかぬ本作のさえずりは聴く者からは決定的に遠い。君が死のうと死ぬまいと俺は生きると言い切る極上のエンターテイメント。

LIBRO『胎動』評

 微小な言葉の粒が瑞々しくもこの世界へと降り注ぐとき。しなやかな雨の軌跡は散文となり「雨降りの月曜」を伝えるささやかな回路をつくり出す。
 
 決してショートすることも熱に駆られて暴走することもなく韻律の回廊をのびやかに駆け回るリリシズムは都会の喧噪を生きる少年のリズムが平熱を越え出ずとも鮮やかに感情を切り取れることを証明した。
 
 S.L.A.C.K.につながる日常と地続きなB-BOY文学の決定版。

GAGLE『3MEN ON WAX』評

 アナログと電子音が織りなす非人称的なバトルフィールドを横断したブルージーな言葉は幾何学的な結晶となり、極小の重みを担う。一人称の意固地さではなく諺のように万人が担う「雪の革命」の軽やかな重さ!

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